
私のコーチングの同僚からコーチング受けていた時のこと
彼女はお父さんのことについて話してくれた。
認知症が進むお父さん、今は時計に夢中。リビングの時計とキッチンの時計を見るために行ったり来たり。
どちらかの時計には秒針まであり、もう一つは分針まで。
秒針は常に動いているからいつまでも見ているらしい。
一方分針だと全く動いているように見えないので見ていられないのだそう。
私の今の生活、何かが大きく変わろうとしている予感。何かをすることではなく、どうあるか?が問われている。
doing ではなく being
でも何かをしてるわけでないので、全く動いてる気がしない。
でも長い目で見れば動いている。
焦らず行こう。
時々ロッキングチェアみたいに、無駄と分かっていても、とりあえず動いていたい衝動にも駆られるが。